活薬の人
『薬学関係者への期待』
金沢大学大学院 医薬保健学総合研究科 メディークウォリティ セキュリティ講座 特任教授 金沢名誉教授 木村和子先生
2017年1月にハーボニー配合錠の偽物が患者さんによって発見され日本中が驚愕しました。偽物を服用した方がいなかったことが本当に幸いでした。気づかずに服用していたら、治療が困難になったり、治癒が著しく遅れたり、直ちに生命や健康に影響する可能性があります。これが偽造薬に世界中の政府や心ある人々が撲滅に躍起になる所以です。しかし、偽造品の提供者は人の生命や健康を顧みず、金儲けだけを考えている犯罪者です。そして、途上国(当グループが対象としているのは後発開発途上国です。)ではもっと頻繁にこのような偽造品が出回っています。流通している腸溶剤オメプラゾールの半分が胃で溶けてしまったり、あるいは無事、胃を通過しても腸でも溶けず結局効果を発揮しないことが見出されています1)。保険制度の普及していない国では持ち金をはたいて薬を購入しますが、健康回復への望みを託して購入した患者の半数は効かない薬になけなしの資金を費やしているのです。
個人輸入すれば安価に薬が入手できると考え(我々の調査では個人輸入は決して安価ではありません2)-4))、あるいは受診するのを面倒に思い、日本の医療保険制度の恩恵に背を向け、わざわざ自分でオメプラゾールを輸入する消費者もいるようです。品質不良のオメプラゾールをアジアの途上国に輸出している製造会社の製品が個人輸入で日本に入ってくることがあります。不思議なことに日本で輸入した製品では、同じ会社の同種の製剤であるにも関わらずアジアで確認されたような不良が検知されませんでした。日本で入手したものはアジアで流通している不良品とは別工場で製造されていて、分光学的性質も異なりました。輸出先によって高い基準と低い基準がある(つまりダブルスタンダード)疑いがもたれました5)。
なぜ、途上国では、治療薬とは言えないような代物が薬として堂々と正規流通ルートで販売されるのでしょうか。原因は大きく分けて二つあります。当局の規制が行き届かないこと並びに製造者が資金不足を理由に改善を進めないことです。途上国では承認(「登録」と言われています)時に当該国の国立品質試験所が有効成分の含量測定を行っていました。しかし、溶出試験は採用されておらず承認時に溶出試験のデータは要求や確認はされていませんでした。また、一度承認されると市販後の流通医薬品の品質チェックは、多くの途上国では自力で行うことはありません。国際的支援が入らない限り実施は難しいのです。それでも開発途上国の担当官の改善意欲は高く、毎年状況はどんどん良くなってはいます。しかし、人件費と施設維持管理費でほぼ消えてしまう薬事分野の政府予算だけでできることは限られています。製造企業の技術的な改善も進まず、問題は深刻です。
顧みられない熱帯病(NTD:熱帯地域の貧困層を中心に10億人以上が侵されている寄生虫や細菌感染症)の治療薬の研究開発や治療はWHOや世界の支援組織の人的・物的支援により成果を挙げるようになりました。そのNTD対策に取組む機関の支援対象ではないですが、より大勢の人々に日常的に使用され住民の健康維持に必須の感染症治療薬や、慢性疾患治療薬を調査対象にしてみたところ、一般の感染症や慢性疾患に使用されている医薬品が深刻な不良、偽造問題を抱えていることに直面したのです。さらに、抗生剤の無処方箋販売は途上国で常態化しており、21世紀最大の医療問題と言われる耐性菌発生の温床になっていることも眼のあたりにしてきました。
科学の粋を集め、治療法の無かった疾病の治療が可能になることはこの上ない福音です。しかし、素晴らしいはずの薬が世界の患者の手元に届いたときには、本来の姿を失い、効果を発揮しないばかりか、却って有害に働いてしまっていることに日本の薬学関係者は気づかれているでしょうか?それを食い止めるためにはまず、何が起きているのかを科学的に明らかにすることが必要です。それをエヴィデンスとして関係する政府や国際機関、業界とともに、改善に向け、働かなければなりません。これはNTD対策とは異なる難しさを抱えた問題です。しかし途上国の多くの関係者は自国の医薬品事情を良くしたいという思いに燃えています。2015年9月の国連サミットで採択され、日本政府も推進する「持続可能な開発目標(SDGs)」の「目標3 すべての人に健康と福祉を」を達成するためには不可欠な活動です。日本の薬学関係者が貢献できることがたくさんあります。
1) M. S. Rahman, et al., Erroneous formulation of delayed-release omeprazole capsules: alert for importing countries, BMC Pharmacol Toxicol 2017 18:31
2) 吉田直子 他、メトホルミンの個人輸入における保健衛生上の問題に関する研究、厚生労働科学研究費補助金平成28年度研究報告書「インターネットを通じて国際流通する医薬品の保健衛生と規制に関する調査研究(主任研究者木村和子)」p26 平成29年3月
3) 吉田直子 他、個人輸入オメプラゾールの真正性と品質に関する研究、厚生労働科学研究費補助金平成25年度研究報告書「地球規模の模造薬蔓延に対する規制と健康影響に関する調査研究(主任研究者 木村和子)」p73 平成26年3月
4) N.Takahashi et al.,Investigation into the Antinfluenza Agent Oseltamivir Distributed via the Internet in Japan, Ther Innov Regul Sci, 47 (6) 699-705
5) M. S. Rahman, et al., Quality of omeprazole purchased via the Internet and personally imported into Japan: comparison with products sampled in other Asian countries, Trop Med Int Health, 2018, doi:10.1111/tmi.13028